新造船が地域の主要産業に。フィリピン・
バランバンと共に発展した30年

造船国家フィリピンを
牽引するバランバン

農業や漁業、観光業などのイメージが強いフィリピンですが、造船業が中国、韓国、日本に次ぐ世界4位の規模を持つことをご存知でしょうか。そんなフィリピンの造船業を牽引するエリアが、観光地としても名高いセブ島の中央部に位置する町、バランバンです。風光明媚な海を臨む自然豊かな場所でありながら、近代的な病院や学校、活気に溢れたマーケットなど生活のための環境が整っており、自治体ごとの収入・人口規模などを評価するランキングにおいて、フィリピン国内でトップクラスの評価を得ています。

 

このバランバンの工業エリアの一角に、常石造船の製造拠点となる「TSUNEISHI HEAVY INDUSTRIES (CEBU), Inc.(以下、THI)」があります。常石造船本社がある常石工場の約3倍に相当する広大な敷地に、450メートル級ドックなどの巨大な設備を擁し、1万人を超える人々がツネイシ品質の船舶建造に従事しています。

TSUNEISHI HEAVY INDUSTRIES(CEBU), Inc.外観
セブ島の中央西海岸に位置するバランバン

土地を拓き、
人々の暮らしに
根ざす事業をつくる

1990年初頭、造船需要の落ち込みや円高、新興国の躍進によって日本の造船業界は厳しい時代を迎えていました。各社に倣ってコストカットなどに奔走すると同時に、常石造船が活路を見出したのが海外への進出でした。しかしながら当時の造船業界では、海外への進出は鬼門とされていました。労働集約型であるがゆえに、技術を有する多大な人手を集めるのは、容易には解決できません。なにより当時の造船会社が海外進出を成功させた例はありませんでした。まさに前例のない、挑戦的なプロジェクトだったのです。

 

進出先として選んだのは、グループ会社の海運事業の航路でもあったフィリピン。日本と同様に、海に囲まれた島国であるフィリピン・セブ島の海岸沿いの土地に、約23万㎡(およそ東京ドーム5個分)もの広大な用地を確保。当時、この場所は原生林が生い茂った荒地で、電気や水道、道路などのインフラも整備されていません。整地や道路の舗装などからはじめ、人を募る。初めての海外の造船工場建設は、まさしくすべてがゼロからのスタートでした。

広大な平原が広がる拠点設立前のバランバン
インフラも整備されていない土地で、拠点設立に携わったバランバンの人々

造船業は人ありきの事業

生産拠点の立ち上げは、「工場をつくり、人員を雇って、生産を開始する」という順番で進むものだと思われるのが一般的です。しかし、船舶建造には数年を要します。そのため、このプロジェクトでは、工場の建設と船舶の建造を同時並行で行う極めて難しい工程で進めていきました。工場建設で設備を整えていくのと同時に、船舶建造が始まっているような状態です。

 

当時のフィリピンでは造船業のみならず製造業全般がまだ産業として根付いておらず、工業の経験者はほとんどいませんでした。技能の育成、伝承にむけては長きにわたって船づくりを共にしてきた地元常石の協力会社に応援要請し、共に海を渡りました。また、現地の求職者に魅力を感じてもらうために、常石造船としてのビジョンを語り、入社後は日本から派遣された技師たちによる手厚い研修を実施しました。当然、はじめは工場周辺に住環境も整っていません。この地域に移り住んで働いていただくためには、住居を整備し、学校や病院など、生活環境の充実にも努めました。

 

造船業は装置産業ではなく「人ありき」の事業です。工場を作って社員を雇うだけでは事業の根幹は育まれません。社員が技能を習熟し、その技能を次世代に伝承することではじめて事業がその地に根付きます。その基盤となるのは、長期にわたる安定的な雇用はもちろん、企業と社員、社員同士の良好な関係です。加えて地域や行政との深いつながりです。働く人だけではなく、働く人の家族やその先につながる社会を視野にいれながら、共に事業を育んでいく必要があります。

 

事業を立ち上げることによって雇用が生まれ、人々の働きによって町が潤い、やがて人々の生活を豊かにする力になっていく。その循環をつくることが、常石グループが考える持続可能な事業のあり方なのです。

創業当初は製造業の経験者すらほとんどいなかったが、現在ではマネジメント層もほとんどがフィリピン人社員で構成されている
造船業は「人ありき」の事業。国の垣根を越えた社員同士の良好な関係が礎となり、共に事業を育んでいく

企業と地域社会が
共に歩み共に成長する

1992年のTHI創業以来、累計建造数は322隻(2022年9月8日数値)を突破し、今日では常石グループの主力工場としての役割を果たすまでに成長しました。さらに地元行政から、事業活動や従業員に対する福利厚生の充実および地域、環境への貢献といった活動が評価され、2011年のPhilippine Economic Zone Authority*の優秀地域プロジェクト企業賞と優秀輸出企業賞を受賞し、以降毎年のように地域のプロジェクトなどに同評価を得ています。

 

バランバンの町は造船とともに大きく変わりました。バランバン町の町長であったエース・ビンハイ氏は2012年のインタビューで次のように述べています。

 

「ツネイシの造船所によって多くの雇用が生まれ、経済成長とともに暮らしの質が向上しました。それによって漁業や農業などの出荷額が増え、小売店も増加して、町は賑わい、1990年当時のバランバンの人口4.5万人から2012年は7.1万人に増加しました。人口の急激な増加によって、教育、医療などの暮らしを支える社会資本の整備が必要になり、とくに生徒の数も2倍になったことで教育施設が足りない状況でしたが、常石グループによる学校の建設や改装・修理など、実情に合った息の長い支援を提供してもらっています。ツネイシは地域の発展に欠かせないベストパートナーです」

 

*Philippine Economic Zone Authority:フィリピンの企業投資を促進する政府機関。経済特区を監督し、登録企業に対し各種優遇措置を付与している。登録企業約4,256社(2022年12月2日現在)。

バランバンの街に建設された病院
バランバンの学校に通う子供たちの様子

海外への拠点進出で
学んだものとは

言葉も通じず、電気も水道もなく、人里はなれた場所で、一から造船工場を作る。バランバンへの拠点の進出は、当時の常石造船にとって経験がない「産みの苦しみ」を伴うプロジェクトでした。インフラが整備され、身近に産業の集積があるような場所に進出すれば、そこまでの苦労はなかったかもしれません。

 

しかしこの場所を選び、事業を継続してきたからこそ、見ることができる景色があります。THIの創業時に職を求めてやってきた若者が、この場所で仕事に励みながら、この場所で暮らしていく。やがて家族をつくり、子どもが生まれて、その子どもが造船所の未来の担い手になっていく。そんなことが年月の積み重ねによって実現しています。

 

30年前に私たちが植えた「造船という苗」はいま、フィリピン・バランバンの地に、しっかりと根を張り、多くの果実を実らせています。